彼、ラブホで倒れる!

といっても、わたしのことではありません。

師匠のことです。

師匠は50代半ば、師匠の彼は10歳以上年上なので60代後半。

 

週末のある日、行きつけのラブホで、

師匠の彼が倒れました。

 

師匠の父親も、どうやら旅先で倒れたようなので、

そのとき、師匠は最悪のケースも考えたそうです。

 

…以下は、師匠から聞いた話です。

 

誤解されるといけないので書いておきますが

「わたし」とあるのは師匠のことで

「彼」とあるのは師匠の彼のことです。

 

6時ころでした。

わたしが上になっていたら、

彼が「ちょっと待って」と云うのです。

瞳の開き方が少しヘンです。

わたし、気になったのですぐに体を外しました。

 

いえ、違った。

彼が動きを止めて、ちょっと待って、と云いました。

そうしてゆっくりと身体を外して、背中からマットにあお向けになりました。

 

わたし、彼の横に行って彼の

手を握りました。

「どうかしたの」

彼は大きく胸を波打たせておりました。

「うん。なんだか、気分が悪いんだ…」

 

額に手のひらを載せると随分冷たいので、

半分は安心しました。

 

少なくとも感染症ではない。

そう思ったのです。

でも半分は気がかりです。

体温が急に低くなるのは、熱が出るよりも状態としては良くありません。

 

むっ。

彼が上体を上げました。

「吐きそう」といいます。

彼の顔を覗いたら、あら大変、

瞳がクルクルと回転しています。

もう一度彼が吐き気を見せました。

 

「だめかもしれない」と彼が心細く言いました。

ダメと云うのは、自力でホテルをチェックアウトすることでしょう。

 

「どうする。病院に行く」

わたしはすぐに聞きました。

とても尋常の状況ではありません。

自分の両親のことを考えると、

最悪のケースも考えなくては…。

まず、彼の命の問題で、わたしたち二人のことがどうのこうのという場合ではないのです。

 

「自分で服は着れる」と彼が主張するので、

彼を信じて彼の下着をベッドに載せます。

そうしてわたしはベッドサイドの受話器でフロントに電話しました。

彼の状態を説明し終えると、

ホテルから「救急搬送しますか」と聞かれたので、

彼にもう一度聞きました。

「ねえ、救急車呼んだほうがいい?」

 

彼はもう返事をする力もないようです。首を振りました。

承諾の合図です。

「はい。お願いします」

そう答えてすぐにわたしも自分の身支度です。

10分くらいで到着するようです。

 

彼はなんとか下着を身につけ、シャツなども着てくれました。

ズボンも足を入れてあげたら腰を上げて、自力で履きました。

 

彼の鞄にマフラーや腕時計などの小物を入れて、

コートはわたしが持って行くことにして、

コロナ禍だったから、彼もわたしもマスクをします。

これは不幸中の幸いでした。

ホテルから救急車に運ばれるまでの道路で二人とも顔をさらさないで済みました。

 

電話が鳴りました。

フロントからです。

支配人です、と電話の声は名乗りました。

てきぱきと話をしていただきました。

 

クルマは置いたままで大丈夫です。

手がすいたら取りに来てください。

 

すぐに出ていけとか、

クルマを持って出ろとか云われるかと思ったら、

何と優しいことか。

彼が良くなったらお礼にまた来ようかしらなどと不謹慎にも考えたりしました。

 

そんな時にチャイムが鳴り、3人の救急隊員が入ってきました。

そのうちの1人が「お名前は」と彼に聞きます。

彼は気丈夫にも名を名乗り、質問に答えて生年月日や住所などを答えておりました。

 

目を開けた彼は「天井が動いています」と云いながら、

救急隊員の指示に従って、隊員の指先を見つめ、その指先を右から左へと

追いかけます。

「20から逆に数字を云ってください」

 

救急隊員もわたしと同様に彼の脳の疾患を疑っているようです。

「どうしますか。歩いて下まで行けますか?」

彼は立ち上がろうとしますが、そのまま崩れます。

「ダメです。吐きそうです。」

ということで担架が入ってきました。

担架というよりはランチャですね。

 

 

最近のはすごいですね。

椅子のように腰かけてから、それから横にします。

形が変わるのです。

 

わたしはベルトで担架に縛り付けられた彼の手を握り

「大丈夫です。わたしもついていきますから」

 

その間に救急隊員から質問がありました。

「倒れられたのは、事の最中ですか、終わった後ですか」

そうか、このまま死んでしまったら「腹上死」ということになる…

などと考える暇もなく

「はい。終わった後です」

 

当然二人の関係も聞かれた。

「ご家族は来られますか」と聞かれても、家の場所は知っていても

電話番号も住所も知らない。

それは彼とて同じで、わたしの家がどのあたりあるのかは知っていても、

住所は知らないはずだ。

 

救急隊は近くの病院に電話した。

「熱はない…」などと彼の状況を伝え、受け入れの承諾を得ると

「××さん」と彼に呼びかけた。

病院名を告げて、そこまで搬送します、と云った。

「5分とかかりませんからね」

 

救急車はホテルの正面に停まっておりました。

わたし、救急車に乗るは初めてです。

いろんなものが天井と云わず壁と云わず、ついています。

彼は目を閉じたまま、吐いてもいいように、ポリ袋をしっかりと握りしめております。

 

「はーい。救急車両通ります。」

「救急車両Uターンします」

拡声器からの声が中にいても聞き取れます。

 

すぐに病院につきました。

「××さん!、病院着きましたからね」

 

そこから先は、テレビで見た救急病院の対応みたいで、

ドクターやら看護師が忙しく彼に取り付き、運び、話しかけます。

とりあえず、病院に到着して、わたしも安心しました。

 

 

…師匠と師匠の彼が、こんな状態だった時、

わたしたちはというとホテルバスタブを泡だらけにして、

その中でせっせとバックでセックスをしておりました。

 

どれだけ親しくて大切な間柄であっても、

このように痛みとか苦しみを伝え合うことはできないものですね。

 

論理では理解できても、感情が許せない

 

こんな言葉を、わたしの大好きな彼が口にしたことがあります。

彼のリスベクトしている作家の言葉です。

 

大事な大事な師匠でも、師匠のその時々の苦しみや悲しみや

辛さ痛さは、頭では理解できても、本質的な痛みは伝わらない。

ましてや、お互いが離れていてはなおさら、わからない。

哀しいけれど、これが人間の超えられない関係性なのでしょうか。

 

(この稿、続きます)