わたしの中の彼へ  3回目

★彼から新作が届きました。

1月1日、元旦の日付がありました。

今年最初の小説です。

 

※  ※

三話 「誰かがやってきた」

 

…ビルの屋上だと思う。
楓子は柵にもたれて、微風に髪をなびかせていた、と思う。


なにしろわたしは彼女のスカートの中にいるのだから、
ここがどこだかはわからないし、風が吹いているかどうかもわからない。

ただ、彼女の緑色の細かなプリーツの入った柔らかな生地のスカートの中にいることだけは、察知できた。


彼女が誰にも邪魔されることなく、わたし話しかけるには、こうした場所を選ぶしかない。
それを承知しているから、わたしは彼女の選択をなんとも思わない。
逆に同情する。この思いには寸分の嘘もない。

 

「ねえ、ソータ」といつものように楓子が話しかけて来た。
その声には微塵たりとも不幸の陰りはなかった。


「わたし、思い出したことがあるの。前に話したことあるかな」とわたしのほうに顔を向けて云った。楓子がどこを向いているのかは、声の高低で判断して多分間違いはない。

 

「パパがね。わたしを膝にのせてテレビを見ているときに、
こんな話をしてくれたの。それを思い出したのよ」

楓子が死んだ父親のことを話すのはほとんどない。
その死に方が気に食わなかったからだが、このことは関係しているのだろうか。
「若いころに、とパパは云ったの。朝起きたら突然おちんちんのあたりが変な気持ちになった…」
そうして彼女を膝から持ち上げて、「腫れていたんだ」と云ったとき、

そばにいた母親が
「パパ、やめなさい。娘の前でみだらなことを云わないで」といったらしい。

 

「でもね、それはママも知らないことだったらしくて、わたしは男性のことは、特に性器のことは、最近まであまり知らなかったんだけど、ベニスの下に袋があって、丸いものが二つ入っているんでしょ。それが三つになっていたんだって。慌てて病院に行って先生に診てもらったときにね、おじいちゃんのお医者さんだったらしいけど、その先生ったらパパのパンツの下から手を入れて、笑ったしいの。『ほんとだ。キンタマが三つある』って」
ここで楓子も笑った。


性病ではなく、抵抗力が弱ってきたせいで、ウィルスが入り込んで腫れたようです、といわれたそうだ。
「わたしが膝の上に乗った時に、ふと思い出したんだって。」
嬉しそうに彼女は身体を震わせた。
「それでね。ソータがこうなって、わたしパパの云ったことがなんかわかったような
気になったのよね」

わたしは返事に困った。
わたしが彼女のまたぐらからぶら下がるようになって、
本当は彼女は何とかしてほしいと思っているのではないのか。


それはそうだ。
股の間から、男の首が飛び出てくるんだから、おちおち歩いていられない。
トイレに行っても気になるだろうし…。

 

「ソータ。大丈夫よ。わたし、あなたとこうなったこと、いやだと思っていないから。
たまには、邪魔くさいなと考えたりもするけど、それは時々のこと。
どれだけ愛し合った二人でも喧嘩することだってあるし、口を利きたくなくなったりも
するものよ」

 

話し終わらないうちに、突然楓子ではない声がした。
「何してるの。誰と話してるのさ」

あっ。

楓子の緊張が伝わった。
楓子は声の主の名前を口にした。
そうして、こう云った。「許すわ」

わたしの世界は消えた。わたしは楓子の中に吸い込まれた。
この後の楓子と知人とのやり取りはどうなったのか、わたしのあずかり知らぬことだ…。